吉川陽大(仙台育英)の母は世界No.1リベロ!父は元女子バレー日本代表監督でスポーツ一家

野球

仙台育英の吉川陽大(よしかわあきひろ)選手がドラフト候補として注目を集めていますね。

プロ注目の吉川陽大選手の母親は元女子バレーボール日本代表リベロとして活躍していた吉川博子(旧姓:津雲)さんです。

また、父も元バレーボール選手で全日本女子バレー代表監督も務めたことのある吉川正博さんです。

吉川陽大選手の高い運動能力は両親から受け継がれていることが分かりますよね。

まさにスポーツ一家で育ってきた吉川陽大選手。

両親がトップアスリートだと運動神経や体格は遺伝するのか?幼少期からどのような環境で育てられてきたのか、気になりませんか?

両親がバレーで吉川陽大選手はなぜ、野球の道を選んだのかも知りたいですよね。

今回の記事では、吉川陽大選手の父と母、家族とのエピソード、なぜ野球を選んだのかも調査しまとめました。

吉川陽大(仙台育英)の母は吉川博子(旧姓:津雲)

吉川陽大(よしかわあきひろ)選手の母は元女子バレーボール日本代表の吉川博子(旧姓:津雲)さんです。

名前:吉川博子(旧姓:津雲)

生年月日:1970年9月11日

出身地:広島県広島市安佐南区

出身校:広島市立広島商業高等学校

経歴
広島商業高校2年生の時に国体出場
1989年:クラボウに入社(チーム廃部により移籍)/カネボウに移籍するも再びチームが解散1993年: NECレッドロケッツに加入、ライト・レフトプレイヤーとして活躍しキャプテンも務める
1997年: 全日本代表初選出/ワールドグランドチャンピオンズカップで日本初のリベロ
1998年:世界選手権出場
1999年 ワールドカップ出場、ベストサーブレシーバーとベストレシーバーの個人タイトル獲得、「世界No.1リベロ」と称される
2000年 シドニーオリンピック出場はならず、予選敗退
1996年、1999年、2002年にNECレッドロケッツでVリーグ優勝に貢献
2004年 現役引退
引退後は春高バレーコーチングキャラバンなどで後進の指導にあたる

吉川博子さんは、もともとアタッカーとして活躍していましたが、途中でレシーブ専門のリベロに転向しました。

するとその才能が一気に開花し、なんと個人タイトルまで獲得してしまったんです!

ポジションを変えても第一線で結果を出すなんて、本当にすごいですよね。

アタッカーから世界No1リベロに

吉川博子さんは、1993年にNECレッドロケッツに入団し、アタッカーとして試合に出ながらキャプテンも務め、チームを引っ張る存在でした。

攻撃もできてキャプテンもこなすなんて、本当に頼もしいですよね。

その後は1996年、1999年、2002年と、Vリーグ優勝に大きく貢献しやはり中心選手としての影響力は絶大だったことが分かります。

そして1997年には全日本代表に初選出され、日本で新しく導入されたリベロポジションの第1号に!

当時の日本ではリベロというポジション自体がまだできたばかりで、吉川博子さんは、誰もやったことのない新しい役割に最初に挑戦して、日本のリベロの歴史を作った選手なんです。

さらに1999年のワールドカップでは「ベストサーブレシーバー」「ベストレシーバー」の個人タイトルを獲得。

博子さん(旧姓・津雲)はバレーボール女子日本代表のリベロとして、1998年の世界選手権などに出場。世界大会で個人タイトルを獲得し、「世界ナンバーワンリベロ」と称された。

引用:毎日新聞

世界の舞台でいきなり結果を出し、その実力から「世界No.1リベロ」とまで呼ばれるようになるなんて凄いですよね。

守備の要として日本女子バレーを支えた存在なんて、本当にかっこ良いですよね。

母の教え「平常心」で逆境を乗り越える

吉川陽大選手の母、吉川博子さんは、息子に野球の技術を教えることはなかったといいます。

その代わりに幼少期から伝えてきたのは「常に平常心でやりなさい」というシンプルで力強い言葉でした。


 「野球は教えられない」という博子さんは、幼少期から息子にこう説いてきた。「常に平常心でやりなさい」。母の教えは、東北地方の高校野球シーンをリードしてきた名門対決で発揮された。1点リードの5回、「全然走ってなかった」という直球を狙われ、連続長打で2失点。逆転を許したが、崩れなかった。NPB7球団12人のスカウトが見守る中、変化球を軸に立て直した。

引用:スポーツ報知

この場面、普通なら完全に流れを持っていかれて崩れてしまいそうですよね。

特にスカウトがずらっと見ている前で逆転されたら、焦ってしまうのが自然だと思います。

それでも冷静さを失わず、母の言葉通り「平常心」でピッチングを立て直した吉川陽大選手は本当にメンタルが強いですよね。

平常心でプレーできるところがプロから注目される理由なのではないでしょうか。

吉川陽大(仙台育英)の父は吉川正博

吉川陽太選手の父は元全日本女子バレーボール監督の吉川正博(よしかわまさひろ)さんです。

名前:吉川正博(よしかわまさひろ)

生年月日:1963年1月21日

出身地:神奈川県

出身校:藤沢商業高校(現:藤沢翔陵高校)→東海大学

経歴
1985年:NECに入社し実業団選手としてプレー
1996年:アトランタオリンピックの日本代表コーチを務める
1997年:NECレッドロケッツの監督に就任/同年の全日本選手権でチームを初優勝に導く2001年:日本女子バレーボールチーム監督に就任
2001年:グラチャンバレーで銅メダル獲得
2002年:アジア選手権で3位決定戦で敗退し、世界選手権で13位と成績不振で辞任
2004年7月:NECレッドロケッツの監督に再度就任/第11回Vリーグで優勝し最優秀監督賞を受賞
2008年5月:監督退任/退任後はバレーボール解説者などとして活動

吉川陽太選手の父、吉川正博さんは中学にバレーを始め現在もバレーボールに関わっているんですね。

元女子バレー日本代表監督で銅メダル

吉川陽大選手の父・吉川正博さんは、2001年に全日本女子バレーボールチームの監督に就任しました。

父の正博さん(62)も、女子日本代表の監督などを務めた。

引用:毎日新聞

吉川正博さんは監督に就任してすぐのグラチャンバレー(グランドチャンピオンズカップ)で、いきなり銅メダルを獲得

初陣でメダルなんて最高のスタートで、ファンの期待も一気に高りバレーボールファンも増えましたよね。

2001年のアジア選手権では中国・韓国に敗れ、さらに地元タイとの3位決定戦でも惜敗。

日本女子バレー史上初めてアジア選手権でメダルを逃すという屈辱的な結果に、吉川正博さんは監督として本当に悔しかったはずですよね。

2002年の世界選手権でも予選敗退で13位という結果を受け、大会後に監督を辞任しています。

ただ、この時期の代表には荒木絵里香選手、竹下佳江選手、木村沙織選手といった後に日本を支える選手が在籍していたんです。

さらに大山加奈選手や栗原恵選手も加わり、世代交代の真っ只中でした。

今振り返ると「もう少し時間があれば…」と思ってしまいますよね。

吉川正博さんの監督時代は、国際大会での苦戦もありましたが、就任直後に銅メダルを獲得した実績をしっかり残した監督なんです。

銅メダルを取った当時、3歳だった吉川陽大選手は幼いながらも父の背中を見て育ち、自然とスポーツに親しむ環境で成長していったんですね。

父のアドバイスが甲子園で生きた

吉川陽大選手は、緊張の甲子園の前日、父・正博さんからアドバイスを受けていたんです。

試合前日は、父の正博さんのアドバイスで、寝る前に自分の良い時のピッチングをイメージして就寝したという。初めての甲子園のマウンドで、多少の緊張はあったそうだが、そんな様子は全く見られなかった。大舞台でも自分をしっかりコントロールできていたことも、高く評価されるポイントではないだろうか。

引用:デイリー新聞

父からのアドバイスをしっかり実践して、大舞台でも自分をコントロールできるのは本当にすごいですよね。

甲子園の独特の雰囲気に飲まれず、普段通りの力を発揮できたのは、やはりメンタル面の強さが大きいのではないでしょうか。

こういう「平常心を保てる選手」って、スカウトにとっても安心材料になりますし、まさにプロに評価されるポイントですよね。

吉川陽大(仙台育英)はバレー経験者

吉川陽大選手は、幼い頃バレーの経験もあるんです。

もちろん吉川も「遊びの感覚で」幼少期はバレーに触れることも多かったが、「プレッシャーになるかもしれないし、違う競技をした方がいい」との母の言葉で友人に誘われた野球の道へ進んだ。

引用:スポーツ報知

バレー一家に生まれながらも、あえて野球を選んだ吉川陽大選手。

母の「違う競技をした方がいい」という言葉があったからこそ、今こうして投手として注目されているわけですから、まさに運命の分かれ道だったのかもしれませんね。

吉川陽大選手の体のバランス感覚や瞬発力、反射神経なんかは、幼少期に触れていたバレーの経験を生かしたものなのではないでしょうか。

遊びの延長だったとはいえ、スポーツ一家で育った環境が今の活躍に繋がっていますよね。

まとめ

吉川陽大選手の母は、世界No.1リベロと言われる元日本代表の吉川博子さんで、父は全日本女子バレーの元監督の吉川正博さんです。

両親がアスリートの環境で育ったことが、吉川陽大選手の高い運動能力やメンタルの強さに繋がっています。

吉川陽大選手は幼い頃バレーにも触れつつ、母の言葉をきっかけに野球の道を選んでいます。

甲子園のマウンドでも「平常心」を忘れずに投げ切る姿は、まさに家族から受け継いだ力なんです。

プロを志願している吉川陽大選手、更なる躍を期待しながら引き続き注目していきたいです。

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