大川慈英はハーフではない!父や母も元アスリートで弟も大学野球で活躍中

野球

日本ハムから一位指名を受けた大川慈英(おおかわじぇい)選手が注目されています。

名前の響きから「ハーフ?」と検索する人も多いようですが、実際にはハーフではありません。

大川慈英選手の両親は日本人で、父が元格闘家の大川政則さん、母が元バレーボール日本代表の鳥居千穂さんです。

慈英(じぇい)という珍しい名前の由来も気になりますね。

そんな大川慈英選手には、弟の大川彗(おおかわけい)さんがおり、現在は東海大学野球部で活躍中。

まさにアスリート一家の大川家として、家族のエピソードにも注目していきたいところです。

今回の記事では、大川慈英選手の父母や弟について詳しく調査し、名前の由来など家族のエピソードも紹介していきますね。

大川慈英はハーフではない

大川慈英(おおかわじぇい)選手はハーフではなく純日本人です。

プロフィールを紹介しますね。

名前:大川慈英(おおかわじぇい)

生年月日:2003年10月28日

出身地:神奈川県平塚市

身長:180㎝

体重:75㎏

投打:右投右打

ポジション:投手

所属:明治大学野球部(国際日本学部)

野球歴:なでしこ小(平塚リトル)→浜岳中(湘南ボーイズ)→常総学院高→明治大学

大川慈英選手の出身地は、神奈川県平塚市です。

小学校から中学までは地元神奈川県で過ごし、高校時代は茨城県の常総学院高等学校野球部で寮生活をし、大学からは明治大学野球部で寮生活をされています。

日本から離れた海外での生活はされていないことになりますね。

ハーフと勘違いされる名前の由来

Yahoo!検索ワードに『大川慈英 ハーフ』と出てくるので、慈英(じぇい)という、名前の読み方から勘違いされる方が多いようですね。

この慈英(じぇい)という名前は留学経験のある父、大川政則さんが付けられたんです。

慈英の由来はアルファベットの「J」。留学経験のある父が「日本と同じような発音で、海外でも通用するように」と、名付けられた。

引用:パリーグドットコム

海外でも通用するように名付けられたということは、日本だけでなく、将来的に海外での活躍も見越しているのかもしれませんね。

大川慈英選手のメジャーでの挑戦も、ぜひ期待したいですね。

大川慈英の父は政則

大川慈英(おおかわじぇい)選手の父は、元格闘家の大川政則さんです。

大川政則さんのプロフィールを紹介しますね。

名前:大川政則(おおかわまさのり)

生年月日:非公開。(2025年10月時点では56歳または57歳)

職業:元総合格闘家(現在の職業は非公開)

主な実績:1999年「寝技世界一決定戦」で有名なアブダビコンバットに出場

大川政則さんが1999年にこの大会に出場したということは、世界最高峰の舞台で寝技を競ったということなんです。

これは、とても高い実力を持つ選手であることの証でもあります。

格闘技の歴史やレベルを考えても、本当にすごい実績ですよね。

自宅の筋トレ部屋でトレーニング

大川慈英選手の自宅には筋トレ部屋があり、父、政則さんからトレーニング指導を受けていたんです。

父の政則さん(53)は元総合格闘家だ。体作りのプロでもあるため、大川は小中学校からウエートトレーニングの指導を受けてきた。「緊張すると力んでしまうので、父から『脱力』の仕方を教わり、力を抜いて腕を振ることを意識している」と話す大川。開幕直前に最速147キロをマークし、自己最速を1キロ更新した大川の投球には父の教えが反映されている。

引用:毎日新聞

大川慈英選手は、父、政則さんからプロの体つくりの指導を受け心強かったのではないでしょうか。

大川政則さんの現在の職種や活動については明確な情報はありませんが、息子二人が野球選手であることから、今も家族のスポーツ指導やサポートに関わっている可能性はありますよね。

大川慈英の母は千穂

大川慈英(おおかわじぇい)選手の母親は、元女子バレー日本代表の鳥居千穂さんです。

名前:大川千穂(旧姓:鳥居)

生年月日:1970年7月29日

出身地:東京都

ポジション:ウイングスパイカー

身長:175㎝

出身校:八王子実践高校

経歴:NECレッドロケッツでプレー/日本女子バレー代表としてアトランタオリンピック出場​

現在:高校女子バレー相洋の監督として次世代を育成/テレビ解説

大川慈英選手は、母である大川千穂さんの影響で2歳からバレーボールをし球技スポーツに関わってきたんです。

大川慈英選手は小学校3年生から野球を始めているので、それまではバレーで基礎的な運動能力を伸ばしてきたんですね。

大川千穂さんが、アトランタオリンピックに出場した時のチームメイト、大林素子さんや吉原知子さんとも会ったことがあるのかもしれませんね。

練習は謙虚に試合は大胆に

大川慈英選手は、練習と試合、それぞれの取り組み方を元バレーボール日本代表の母、大川千穂さん学び実践してきました。

 母からは「練習では自分が一番下手だと思って、試合では自分が最強だと思って戦え」と教えられた。

引用:パリーグドットコム

元日本代表として、実際にプレッシャーの中で戦ってきた人の言葉だからこそ、説得力がありますよね。

大川慈英選手も、その言葉の通り、練習では自分を過信せず、周りから学びながら成長してきたのではないでしょうか。

そして試合では、迷いや不安を振り切って、自分を信じ、全力を出し切ってきたんですね。

大川慈英の弟は慧

大川慈英選手の弟は、東海大学野球部一年の大川慧さんです。

名前:大川慧(おおかわけい)

生年月日:2006年6月11日

出身地:神奈川県平塚市

学歴:常総学院高等学校卒業、現在は東海大学所属

身長:185cm

体重:85kg

投打:右投右打

ポジション:投手

大川慧さんは、中学時代に肘の手術を受け、一時は外野手へ転向されていました。

怪我を理由に野球をやめてしまう選手や、投手に復帰することが難しい選手もいる中で、諦めずに再びマウンドへ戻られたのは、兄の大川慈英選手の背中をずっと追い続けてきたからではないでしょうか。

兄の背中に憧れて、常総学院へ

中学時代の大川慧(けい)さんにとって、兄の大川慈英(じぇい)選手の存在はとても大きなものでした。

2021年3月27日――甲子園で行われた常総学院―中京大中京戦。

当時中学3年生だった大川慧さんは、一塁側アルプススタンドから、兄・大川慈英選手がマウンドで力強く投げる姿を見つめていました。

「自分もあの舞台に立ちたい」

その瞬間、心の奥で強い想いが芽生えたといいます。

試合を見終えた慧さんは、その日、兄と同じ常総学院のユニフォームを着ることを心に決めたそうですよ。

2021年3月27日、常総学院―中京大中京戦では、兄が聖地のマウンドで腕を振っている姿を一塁側アルプス席から目に焼き付けた。当時中3だった弟はその日、常総学院のユニホームに袖を通すことを誓った。「甲子園に行きたい」と強く、強く思った。

引用:スポニチ

まさに“兄の背中を追いかけて”の常総学院進学だったんですね。

甲子園で輝く兄の姿が、慧さんの野球人生を動かす大きな原動力になったのは間違いないですね。

こうして見ると、大川兄弟はお互いに刺激し合いながら成長してきたことが伝わってきますよね。

現在、慧さんは東海大学野球部でプレー中。

兄の大川慈英選手がプロの舞台へと進む中、「兄を超えたい」という新たな目標を胸に、日々努力を重ねています。

これから兄弟それぞれがどんな舞台で輝いていくのか、今後の活躍にも注目です。

まとめ

大川慈英(じぇい)選手は、元格闘家の父・政則さんと、元バレーボール日本代表の母・千穂さんのもとに生まれた、まさに“アスリート一家”の息子です。

幼いころからスポーツが身近な環境で育ち、体づくりやメンタルの面でも自然と高い意識を持っていたのが分かります。

そして弟の大川慧(けい)さんも、兄の背中を追いかけるように常総学院へ進学し、現在は東海大学で野球を続けています。

甲子園で輝く兄の姿を見て「自分もあの舞台に立ちたい」と誓ったエピソードには、胸が熱くなります。

兄弟それぞれが違う場所で頑張りながら、同じ夢を追いかけている姿は本当に素敵です。

これからもお互いを刺激し合いながら、プロの舞台や大学野球でますます輝いていってほしいですね。


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