2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪で、見事メダルを獲得し日本中を沸かせたスキージャンプの丸山希(まるやま のぞみ)選手。
大怪我を乗り越えて表彰台に立った姿に、胸が熱くなった方も多いのではないでしょうか?
今まさに注目を集める丸山選手ですが、その驚異的な精神力と強さを支えたのは、長野県野沢温泉村で育った「最強のスキー兄妹」の存在でした。
実家は地元で愛される民宿の経営者。
そして、共に雪の上を駆け抜けたお兄さんはノルディック複合、お姉さんはスキージャンプの元選手という、まさにスキー界のサラブレッド「スキー兄妹」だったんです!
この記事で分かることは
- 丸山希選手がミラノ五輪でメダルを取れた「家族の支え」
- お父さんが営む野沢温泉の民宿と、大切に飾られたトロフィーの物語
- 「兄は複合、姉はジャンプ」!凄すぎるスキー兄妹の経歴
- 怪我を乗り越えた彼女を支えた、お父さんやお兄さんの温かい言葉
これを読めば、丸山希選手がもっと大好きになること間違いなしです!
丸山希の父親は野沢温泉の民宿経営者!
丸山選手の父親・守(まもる)さんは、野沢温泉村で民宿を営みながら、幼い頃から希選手の競技生活を支え続けてきた、いわば「チーム丸山」の精神的柱です。
父の守さんは、丸山希選手がメダルを手にした際にも、地元の方々と共に喜びを分かち合う、とても温かい人柄で知られています。
実家は丸賢山荘?ロビーを埋め尽くす輝かしいトロフィー
丸山選手の実家の民宿については、公式に名前が公表されているわけではありません。
しかし、ファンの間では「丸賢山荘(まるけんさんそう)」ではないかと言われています。
そう推測される理由は、お宿のホームページに掲載されていたお父様・守さんからのメッセージにあります。
そこには女将である「信子」さんが2017年1月に永眠されたことが記されており、これが希選手が公表している「お母様との別れの時期」と一致しているのです。
父と兄が営む野沢温泉村の民宿。これまで丸山選手が獲得したトロフィーの数々がところ狭しと並んでいます
引用:信州新聞
宿のロビーには、希選手がこれまで勝ち取ってきた数えきれないほどのトロフィーが、所狭しと飾られています。
これこそが、お父さんが娘の努力をどれほど誇りに思い、大切に支えてきたかという愛情の証。
野沢温泉の冷たい雪の中でも、この宿の中にはいつも、家族の熱い応援が溢れていたのですね。
「本人よりドキドキした」娘を信じて待ち続けた父・守さんの想い
ミラノ五輪のノーマルヒルで、丸山希選手が悲願のメダルを獲得した瞬間。
地元・野沢温泉村で住民の皆さんと観戦していた父・守さんは、「本人よりドキドキした」と顔をほころばせました。
守さんは、希選手が歩んできた苦難の道を誰よりも理解しています。
高校3年生の時に最愛の母・信子さんを亡くし、その後は自身も膝の大怪我に見舞われるなど、何度も壁にぶつかってきました。
守さんは、そんな娘の変化をこう語っています。
「家内が亡くなってから自分でやる気になったと思います。それが土台になって今があると思います。ようやくたどり着いた五輪で初戦でメダル取れたことが本当にうれしい」丸山守さんのコメントより
引用:プライムオンライン
「お母さんにメダルを届けたい」という強い想いが、彼女を突き動かす原動力になっていたことを、お父さんは静かに見守っていたのですね。
さらに守さんは、次戦のラージヒルに向けて力強いエールを送りました。
「今度は希が一番得意とするラージなので、今度は違う色のメダルを取ってもらうように現地で応援してきます」
引用:SBC信誠放送
これまでずっと宿を守りながら地元で応援してきたお父さんが、ついに「現地」へ。
家族の絆を胸に、世界の舞台でさらに高く舞い上がる希選手。
その背中には、いつもお父さんの優しい眼差しとお母さんの想いが添えられているのです。
兄はノルディックの元選手!
丸山希選手には、競技人生の道しるべとなった6歳年上の兄・丸山雄さんがいます。
兄の丸山雄(まるやま ゆう)さんは元ノルディック複合の選手として活躍していました。
名前:丸山雄(まるやまゆう)
生年月日:1992年前後(丸山希選手が1998年6月2日生まれで「6歳年上」との記述あり)
経歴:元ノルディック複合選手
現在:父・守さんと民宿経営
兄の雄さんは大学卒業後、一度は東京の企業に就職していましたが、2024年11月末に退職。
故郷である野沢温泉村へ戻り、父・守さんと共に「丸賢山荘」を継ぐ道を選びました。
インスタには「こっそり戻ってきた」と投稿されていましたよ。
2024年の末といえば、希選手がミラノ五輪に向けていよいよ勝負のシーズンに入るという大切な時期。
世界で戦う丸山希選手にとって、とても心強かったのではないでしょうか。
13年前の約束……兄・雄さんが記者に託した想い
実は丸山希選手の兄・雄さんには、長年温め続けてきた「ある約束」がありました。
それは希選手がまだ15歳だった2013年、極寒の北海道名寄市でのこと。
当時、大学生だった雄さんは、スキー取材に訪れていた記者に対し、熱い眼差しでこうお願いをしたそうです。
「僕の妹2人がジャンプを頑張っています。いつか記事を書いてください」
引用:毎日新聞
兄の雄さんも当時大学3年生でノルディック複合をされていまいした。
自分のことではなく、ひたむきに努力する妹たちの将来を信じ、その輝きを誰かに伝えてほしいと願ったんですね。
それから13年後、2026年ミラノ五輪で希選手がメダルを掴んだことで、この約束は見事に果たされることとなりました。
現在は現役を引退し、父・守さんと共に実家の民宿「丸賢山荘」を切り盛りしながら家業を支えている雄さん。
自身もスキー競技の厳しさを知るからこそ、遠征で不在がちな希選手に代わって「実家を守る」という形で、今も妹の挑戦を一番近くで支え続けているんですね。
姉はジャンプの元選手!
丸山希選手にとって、最も身近な先輩であり、スキージャンプの道へ進むきっかけを作ってくれたのがお姉さんの丸山純(まるやま じゅん)さんです。
名前:丸山 純(まるやま じゅん)
生年月日:1995年前後(丸山希選手の3歳年上)
経歴:元スキージャンプ選手(長野・飯山高校出身)
一番近くにいたライバルで「尊敬する存在」
三きょうだいの真ん中である純さんは、希選手を練習に連れて行くなど、幼い頃から常に競技のそばにいた存在でした。純さん自身も実力派のジャンパーで、飯山高校3年生の時には、中学生だった希選手と共に全日本スキー連盟の強化指定選手に選ばれるほどでした。
希選手は、同じ道を歩んできたお姉さんについて、感謝の気持ちをこう語っています。
「お姉ちゃんは一番近くにいたライバルで尊敬する存在。やめてからもずっと相談に乗ってくれて、いつも応援してくれる。すごく頼りにしている」
引用:毎日新聞
同じ空中を飛ぶジャンパーとして、純さんにしか分からない苦労やプレッシャーを共有してきたからこそ、この言葉には重みがありますね。
競技を離れてもなお、希選手が「一番頼りにしている」と語るその関係性は、まさに理想の姉妹像なのではないでしょうか。
純さんの温かいサポートが、孤独な戦いであるジャンプ競技において、希選手の大きな心の支えになっていたことが伝わりますよね。
6歳上の兄に挑む!?姉・純さんが明かす希選手の素顔
お姉さんの純さんは、昔から希選手の並外れた「負けず嫌い」な一面を目撃してきました。当時の様子を、純さんは少し笑いながらこう振り返っています。
「希は昔から負けず嫌い。伸びるとは思っていたけど、あそこまでとは思わなかった。私よりも兄に挑んでいた。6歳も離れているのに。私は2人のやりとりを少し引いて見ていました」
引用:毎日新聞
現在は一般の方として生活されている純さんですが、引退後も希選手にとって「最高の相談相手」であることは変わりません。
3歳上のお姉さんを追いかけ、さらに6歳上のお兄さん・雄さんにまで挑んでいったあの頃の「負けん気」が、ミラノ五輪のメダルへと繋がったのですね。
丸山希の母・信子さんとの約束
丸山希選手の強靭な精神力を語る上で欠かせないのが、2017年に亡くなった母・信子さんの存在です。信子さんは、希選手にとって厳しくも深い愛を持った人でした。
「何かで一番になりなさい」願書を破って教えた覚悟
三きょうだいの中でも、特に希選手には厳しかったという信子さん。
高校2年生の時、遠征帰りに朝遅くまで寝ていた希選手に対し、信子さんは「家のことも手伝えない子はもう競技をやらなくていい!」と、なんと大学の入学願書を破り捨てたこともあるそうです。
「兄と姉は大人になっていくのに、私だけ子供で。きっと心配だったんだと思う」と希選手は当時を振り返ります。
信子さんが口癖のように言っていた「何かで一番になりなさい」という言葉。
それは、厳しい勝負の世界で生きる娘への、母なりの最大のエールだったのです。
高校生という多感な時期に願書を破られるというのは、本人にとっては相当なショックだったはずです。
でも、今の希選手が「きっと心配だったんだ」と語れるのは、その厳しさが「中途半端な気持ちでやるなら、先がない」という母の切実な愛情だったと気づいたからでしょう。
反発しながらも、心のどこかで母の期待に応えたいと踏ん張る娘の姿に、胸が熱くなりますね。
葬儀に出ずに向かったW杯……母が遺した最期の伝言
信子さんとの別れは、希選手が高校3年生の時に訪れました。
W杯初出場という大きなチャンスを掴んだ直後、母の危篤の知らせが届きます。
札幌の遠征先から駆けつけた希選手に対し、母・信子さんは会うことを拒み、父・守さんを通じてこう伝言を遺しました。
「せっかく自分でつかんだことを、もう変えられないことに使うんじゃない」と、母は父に伝言しており、札幌へととんぼ返りした。
引用:スポーツ報知
「お母さんに会いたい」という個人の感情よりも、アスリートとして掴んだチャンスを全うしなさい――。
希選手はその言葉に従い、最愛の母の葬儀にも出席せず、再び遠征先へと飛び立ちました。
その凄まじい覚悟が、今の丸山希というジャンパーを形作っているのです。
最期の瞬間に会うことさえ許さず、戦いの場へ戻した信子さんの決断。
これほどまでに強く、そして残酷なほどに純粋な応援があるでしょうか。
「変えられない過去に時間を使うのではなく、自分で掴んだ未来のために時間を使いなさい」という言葉は、希選手の心に一生消えない火を灯したに違いありません。
葬儀に出られない辛さを抱えながら、独りジャンプ台に立った彼女の勇気を思うと、言葉を失います。
母がくれた名前「希」に込めた想いをミラノで証明
ミラノ五輪で見事に手にしたメダル。
試合後のインタビューで、希選手は空を見上げるようにしてこう語りました。
「天国のお母さん、メダルをとったよと伝えたいです。ゴールドじゃないから怒ってるかもしれないですね」
引用:スポニチ
「ゴールドじゃないから怒ってるかも」という茶目っ気のあるコメントには、厳しかったお母様との日常が凝縮されているようで、思わず涙がこぼれます。
メダルを報告したい一番の相手がいない寂しさを抱えながらも、母・信子さんの教え通り「一番(メダリスト)」になって見せた希選手。
信子さんも、この日ばかりは天国で、誰よりも長く、大きな拍手を送っていたのではないでしょうか。
母が授けてくれた「希」という名前の通り、どんな苦境でも希望を捨てずに飛び続けてきた希選手。
厳しさを教えてくれた母との約束を果たし、いま、その希望を最高の結果で証明してみせました。
お母様もきっと、天国で「よくやったわね」と微笑んでいるに違いありません。
まとめ
丸山希選手がミラノ五輪で手にした銅メダル。
それは、丸山希選手の努力はもちろんのこと、地元の野沢温泉で希選手を信じ、支え続けてきた「家族の絆」が実を結んだ瞬間でもありました。
- 父・守さん:母亡き後、静かに娘の成長を見守り、宿を守りながら応援し続けた。
- 兄・雄さん:13年前の約束を胸に会社を辞め、実家を継いで妹の「帰る場所」を守った。
- 姉・純さん:一番のライバルとして、そして引退後も最高の相談相手として精神的に支えた。
- 母・信子さん:「何かで一番になりなさい」という厳しい教えと、最期の瞬間の覚悟で娘を強くした。
大怪我や最愛の母との別れなど、何度も大きな壁にぶつかってきた丸山選手。
しかし、どんな時も家族が彼女の「希望」の光を絶やさぬよう、温かく、時には厳しく寄り添ってきました。
家族それぞれの想いを知ると、あのメダルが単なる「個人の成績」以上の、重みのあるものに見えてきますね。
お母様が授けてくれた「希」という名前の通り、丸山希選手のジャンプは多くの人に勇気と希望を与えてくれました。
これからも、最強の家族サポーターと共に大空を舞う丸山希選手の活躍から目が離せません!


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