奥村頼人(横浜高校)の父親は名将監督で母親は元野球部マネージャー!前田悠伍と親戚って本当?

野球

横浜高校のエースとして注目を集める奥村頼人(おくむららいと)選手。

父親である奥村倫成(おくむらともなり)さんは滋賀県の公立高校教員で、現在八日市高校野球部監督を務めています。

母親のいつ子さんは高校時代に強豪校の野球部のマネージャーをされていました。

また、奥村頼人選手はソフトバンクの前田悠伍(まえだゆうご)選手と親戚なんですよね。

才能あふれる家系の中で育った奥村選手の家族構成も気になりますね。

今回は、奥村頼人選手の父親や母親のことや、前田悠伍選手とのエピソードを調査しまとめました。

奥村頼人(おうむららいと)選手の父親の名前は奥村倫成(おくむらともなり)さんで滋賀県の八日市高校野球部の監督をされています。

奥村倫成のプロフィール

奥村頼人さんの父親倫成さんのプロフィールを紹介します。

【名前】奥村倫成(おくむらともなり)

【年齢】2025年時点で50歳~51歳

【出身地】滋賀県

【勤務歴】滋賀県立大津高校、野洲高校、八日市高校

奥村倫成の経歴がやばすぎた

父親である奥村倫成さんの経歴を紹介しますね。

【野洲高校時代】(2011年~2016年)
野洲高校を夏の滋賀大会準優勝に導く
2012年第94回全国高校野球選手権滋賀大会準優勝

【八日市高校時代】(2017年以降)
現在も野球部監督として指導

奥村倫成さんは弱小チームだった野洲高校野球部を夏の大会で成長させたことが有名で、地域の方からは「名将」として尊敬されているそうです。

ドラマ「下剋上球児」の原作に登場する実在の人物が奥村倫成さんです。

ドラマの原作にも登場してしまうなんてすごいですよね。

頼人の由来は父親から

「頼人」さんの名前の由来は、父親である倫成さんが現役時代にライトを守っていたからです。

父が現役時代にライトを守っていたから、自分の名前も頼人(らいと)にしたと聞いています。

引用:週刊ベースボール

奥村頼人選手は、野球のセンスや才能もありチームの頼りになる素晴らしい選手なので「頼人」という名前はぴったりですね。

奥村頼人さんの母親は奥村いつ子さんは高校時代に野球部のマネジャーをしていました。

滋賀の彦根東高等学校野球部の元マネージャー

奥村頼人さんの母奥村いつ子さんは、29年前に滋賀の名門進学校・彦根東高等学校野球部のマネージャーをされていました

「野球部には笑いが絶えません。もちろんヤル時はみんなの顔もシマッて真剣です。たとえ、ツライ事や悲しい事があっても、部員と一緒にいると忘れられます。私は東高のマネジャーになって良かったと心から思っています
 弊社発行の「報知高校野球」96年1月号にこうつづるのは、奥村頼の母・いつ子さんだ。滋賀の名門進学校・彦根東のマネジャーとして29年前、チームの魅力を寄稿した女子高生は、球児の母となって当時届かなかった聖地のアルプスから、我が子の熱投を見つめていた。

引用:スポーツ報知

母親である奥村いつ子さんは、29年前に高校球児のマネージャーをされていた経験がある為、奥村頼人選手の野球に深い理解と熱意を持っている方なんですね。

彦根東高校野球部成績

彦根東高校野球部は、滋賀県を代表する伝統校の一つで、近年も安定した成績を残しています。

いつ子さんが所属していた時代は甲子園出場したという記録はありませんが、過去に甲子園に出場したこともあります。

【甲子園・全国大会】

  • 昭和25年春(1950年)初出場
  • 昭和28年春(1953年)
  • 平成21年春(2009年、21世紀枠)
  • 平成25年夏(2013年)
  • 平成29年夏(2017年):1回戦勝利(波佐見高に6-5)、2回戦敗退(青森山田高に2-6)
  • 平成30年春(2018年、センバツ): 2回戦勝利(慶応高に4-3)、3回戦敗退(花巻東高に0-1、延長10回)

【滋賀県大会・近畿大会】

  • 2017年には県大会優勝
  • 2017年春季近畿大会では龍谷大平安(京都)に勝利し、準決勝進出
  • 2018年もベスト8入り

彦根東高校の偏差値は67と高いです。

学力と運動能力の高い生徒が多いということがわかりますね。

彦根東高校所在地

滋賀県立彦根東高等学校は滋賀県彦根市金亀町4番7号にあります。

滋賀県立彦根東高等学校は彦根市の中心部にあり、周辺には彦根城、彦根城博物館、彦根市立図書館、滋賀大学、夢京橋キャッスルロードなどがあります。

周りには歴史や文化がたくさんあるので、勉強やクラブ活動にとてもよい場所なのが分かりますよね。

高校の生徒たちは、自然や昔の町の様子にふれながら高校生活を送っているんですね。

奥村いつ子のプロフィール

奥村いつ子さんのプロフィールを紹介します。

【名前】奥村いつ子

【年齢】2025年3月時点で46歳

【出身高校】彦根東高校

【所在】滋賀県在住

いつ子さんは、地元滋賀県から奥村頼人さんの応援に毎回駆けつけています。

昨年の大会にも横浜まで奥村頼人さんの応援に毎回行かれていましたよ。

引用:THE ANSWER

滋賀県から横浜の試合に通うのは、中々大変ですよね。

熱心にサポートされているのが伝わってくるエピソードですよね。

奥村頼人とのエピソード

奥村頼人選手のことを思いながら厳しく接しているエピソードがあります。

家を出た

奥村頼人選手は小学5年生の時に家を出たことがあります。

当時の母親である奥村いつ子さんとのエピソードを語っていましたよ。

野球をして遅くに家に帰ったら、母から怒られて『ウチの子じゃない』と言われたんです。そこで『新しいお母さんを探しに行く』と家出しました。彦根城のほうまでひたすら歩いて(奥村は滋賀県出身)、あとで計算したら30キロくらいになっていました。すでに捜索されていて、見つかるのがあと1分遅かったら全国放送されるところだったらしいです。父になんで家出したのか聞かれて、『新しいお母さんを探しに行っていた』と言ったら、『俺も誘ってよ』と言われました」

引用:Sprotiva

小学校5年生でひたすら30キロ歩けるなんて…さすが野球選手ですよね。

父親である奥村倫成さんも怒ることなく、むしろ「誘ってよ」と言ったところも面白いエピソードですね。

母親厳しいの一言

母・いつ子さんは、奥村頼人選手が横浜高校の寮に入る際、「簡単には帰ってこないくらいの覚悟で行きなさい」という思いを込めて厳しい言葉で、背中を押したんです。

母の強い気持ちと「頑張れ」という応援の思いがこめられていますよね。

奥村頼人選手も、その言葉を聞いて「絶対に諦めないで頑張る」と心に決めれたのではないでしょうか。

この一言がなかったら、現在の奥村頼人選手はいなかったかもしれないですね。

奥村頼人の妹

奥村頼人選手には現在中学3年生の妹、奥村世梛(せな)さんいます。

一塁側の横浜応援席は奥村頼人の妹・世梛(せな)さん(中3)の姿があった。

引用:スポーツ報知

現在中学三年生の奥村世梛さんはバレーボール部に所属していて、滋賀選抜にも選ばれています。

世梛さんは今、バレーボールに熱中。滋賀県の選抜メンバーに選ばれるほどになった。

引用:スポーツ報知

奥村頼人選手はU18日本代表に選ばれ、妹の奥村世梛さんも県選抜に選ばれるなど、まさに最強兄妹として注目を集めているんですね。

奥村頼人(おくむららいと)選手とソフトバンクの前田悠伍(まえだゆうご)選手は親戚です。

血縁関係

具体的な血縁関係は非公開ですが、親戚関係にある」とう情報だけ公表されています。

2学年上のソフトバンクの左腕・前田悠伍(大阪桐蔭高)とは、親戚関係にある。

引用:週刊ベースボール

奥村頼人選手の出身は滋賀県彦根市前田悠伍選手は滋賀県長浜市の出身です。

滋賀県の彦根市と長浜市は、車で約17分ほどととても近い場所にあります。

幼い頃、一緒に遊んでいたのかもしれませんね。

奥村頼人選手と前田悠伍選手が親戚関係だと知って、驚いた方も多いんですよね。

また、奥村頼人選手の父と前田悠伍選手の父は高校時代のチームメイトだったので昔から付き合いが多かったのではないでしょうか。

奥村頼人選手と前田悠伍選手は幼少期から関りがあり対戦経験もありました。

前田は中学時代、湖北ボーイズでプレーしたが、奥村頼は「同じチームも考えましたが、対戦してみたいと思いました」と、滋賀野洲ボーイズに在籍した。「1年時、春先の練習試合で前田投手と投げ合い、2対1で勝つことができたんです。

引用:週刊ベースボール

親戚という間柄であったからこそ闘争心もあり、切磋琢磨してきたんですね。

奥村頼人選手がここまで素晴らしい選手になられたのは、前田悠伍選手との関りが大きく影響したのではないでしょうか。

奥村頼人選手がプロ野球選手になったら、今度は同じチームなのか、やはり別のチームになるのか楽しみですね。

奥村頼人選手の父親は、八日市高校野球部の監督の奥村倫成さんです。

母親の奥村いつ子さんは、高校時代彦根東高校野球部のマネージャーをされていた為、野球に対しての熱い思いがある方です。

また、奥村頼人選手の親戚にはソフトバンクの前田悠伍選手がいます。

奥村頼人選手と前田悠伍選手は中学時代、お互い違うチームに所属しライバルとして切磋琢磨していました。

プロ入りを志望した奥村頼人選手、どのチームに所属するのかも注目ですね。

プロでの活躍も楽しみです。

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